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新日本プロレスとは

新日本プロレス(しんにほんぷろれす)は、日本のプロレス興行団体。略して新日(しんにち)とも呼ばれる。「KING of SPORTS」を標榜している。1972年1月、日本プロレス選手会を除名されたアントニオ猪木が設立。同年9月に設立されたジャイアント馬場率いる全日本プロレス(全日)と、男子プロレス界の二大老舗団体として君臨。「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。2005年11月14日、ユークスが株式の過半数取得を発表、同社の子会社となる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ジャイアント馬場と全日本プロレス

ジャイアント馬場の時代
日本プロレスに所属していたジャイアント馬場中心に結成。常にアントニオ猪木率いる新日本プロレスの異種格闘技路線と比較されつつも、一貫して「王道の純プロレス」を実践。

初期
馬場が培ったアメリカ(主にNWA)での人脈を生かし、幾多のスター外国人選手を招聘して人気を得た。力道山時代の「日本人レスラー対外国人レスラー」の系譜を受け継いだものだといえる。当時は新日本プロレスの格闘技路線と比較され、動きが緩やかな印象を与えた全日本のプロレスは一段低く見られがちな風潮もあった。現在では、WWEに代表されるアメリカンプロレスの源流を日本に紹介したこと、レスラーの高度な駆け引き、プロレス特有の「受けの美学」を見せたことなどが再評価の対象となっている。この時期に、ジャンボ鶴田(故人)、天龍源一郎、大仁田厚らを輩出する。またブッチャーやシークに代表される流血戦も多く、大仁田のFMWなどのインディー団体のデスマッチ路線の源流を作った、とする意見もある。


中期
馬場が、高年齢を理由にタイトル戦線から退いた後には、「明るく、楽しく、そして激しく」を掲げ、日本人選手の対戦が主軸となった。その他、中継権を持っていた日本テレビと関連が特に深い時期であり、日本テレビの役員が出向の形で全日本の社長ポストに就いていた(馬場は会長ポスト、後に社長に就任)。天龍を中心に「見る者にも、痛みの伝わるプロレス」が繰り広げられた。天龍、鶴田以外にも、新日本プロレスを離脱した長州力らジャパンプロレスの選手らがこの時期に参戦している。


後期
1988年、長く待望されていた三つのヘビー級王座の統一が図られるが、決定戦のたびに引き分けや不透明決着に終わる(王座戦の決着としてはありふれた手段だった)。最初の統一戦から約1年が経過した1989年4月16日、後楽園ホール大会における鶴田対スタン・ハンセン戦も反則裁定に終わり、ついに激怒したファンが暴動寸前にまで陥る。3冠統一は2日後鶴田により成されたが、この事件がきっかけとなって、全日本の試合からあからさまなリングアウト・反則裁定が排除され、技による完全決着がつけられるようになる。これが、後の鶴田対超世代軍・四天王の激戦を呼ぶ伏線となる。

1990年、天龍をはじめとする多くのレスラーがSWSに移籍し、存続が危惧される。だがジャンボ鶴田に、三沢光晴率いる「超世代軍」が挑む構図が生まれ、新たなブームを引き起こして再生。鶴田率いる正規軍と超世代軍、外国人レスラーの戦いが主軸となる。

鶴田が病気のため、一線から退くと、戦いは四天王プロレスと呼ばれる形へ発展した。危険度の高い技を次々と繰り出すスタイル(詳細は四天王プロレス及び王道プロレスを参照とのこと)は先鋭化し続け、テレビ解説をしていた馬場に「解説できない」と言わしめるほどだった。この時期に空前絶後の利益をおさめ、年間7回の日本武道館大会を中心に経営的な成功を勝ち取る。武道館大会は三沢社長時代までの90年代全般で、プレイガイド発売即チケット完売となるほどの人気で、「王道プロレス」のキャッチコピーが浸透した。

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プライドとは

この名称による主な開催イベントは、

・「PRIDE」の後に開催順の数字が入る「PRIDEナンバーシリーズ」(1997年〜)

・数大会に分け、トーナメントによって優勝者を決定する「PRIDEGP」大会(2000年、2003年、2004年、2005年開催)

・実験的要素と日本対世界の対抗戦を軸にし、中軽量級中心に特化することとなった「PRIDE武士道」シリーズ(2003年〜)

・大晦日に行われ、当日時間差放送ながらも、フジテレビ系列の地上波放送にて、ゴールデンタイムを含む長時間(2005年度は18時〜23時45分)に放送される「PRIDE男祭り」(2003年より毎年開催)

の以上4シリーズが2005年現在の主なイベントである。

1997年の「PRIDE1」より数ヶ月に1回のペースで「PRIDEナンバーシリーズ」のみを行っていたが、2000年の1月と5月に体重無差別級による「PRIDEGP2000」を開催。

その後はまた、数ヶ月に1回ナンバーシリーズの興行に落ち付くが、2003年には再び、今度はミドル級選手による「PRIDEGP2003」を8月、11月の2大会に分けて行う。また、この年の10月に「武士道シリーズ」も初開催される。

その後の主な興行ペースは、2月、10月に「ナンバーシリーズ」、4月、6月、8月の3大会に分けて「PRIDEGP」の開催、その他の奇数月、あるいはナンバーシリーズとの合間になる間隔で「武士道シリーズ」が開催されている。

そして大晦日の「PRIDE男祭り」は、オリンピックの格闘競技でのメダリストや、他格闘競技のトップ選手などのPRIDEデビュー試合の場として、またはその年に各PRIDEイベントで活躍した選手が一度に集うマッチメイクを行い、さながらオールスター大会と言えるイベントとして開催される。

そして「男祭り」の全試合終了後、ささやかなカウントダウンイベントによって新たな年を迎えるのが、近年のPRIDE名による興行の流れである。 

各シリーズそれぞれにテーマを持った興行を行ってはいるが、プロ野球のリーグ的な要素での分け隔てはないため、ミルコ・クロコップのように、年間を通して、どのシリーズにも参戦している選手も多くおり、各シリーズの大まかなイメージをつかむ事ができれば、あとは同じPRIDEシリーズであると考えても差し支えはない。

但し、2005年からの武士道シリーズは、「中、軽量級」のみの試合を行う興行として、今までよりナンバー、GPシリーズとの差別化が計られるようになった。

各開催イベントについては、下記の「大会名などの一覧」を参照のこと。

その他の関連するイベント・大会としては、PRIDEへの登龍門を謳い二軍的位置付けだった「MMA THE BEST」シリーズ、東海テレビのテレビ番組「PRE-PRIDE」「PRIDE王」内企画の大会だった「PRE-PRIDE」シリーズ、興行的要素を一切排したアマチュア選手のための大会「PRIDEチャレンジ」がある。

PRIDEオフィシャルサイトには、大会が近づくと各試合専用の掲示板が設置される。また、オフィシャルメンバーズサイトに入会すると、ブログを開設することもできる。PRIDEオフィシャルサイトから直接リンクしていることもあり、PRIDEに関連する様々な話題について多くのファンが活発な意見を交わすことで内容が充実している。しかし、一部に他団体を誹謗中傷するファンやブロガーがおり、会社の顔ともいうべきホームページ上にこのようなブログが掲載されている。

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K1とは

Kは「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技、あるいは「格闘技」そのものの頭文字を意味する。1993年に始まった。K-1と言う名前は、創始者であり当時正道会館館長、株式会社ケイワン社長の石井和義が新日本プロレスのG1 CLIMAXに感動し、それにあやかって付けられたとされる。空手、キックボクシング、カンフーなどの打撃系格闘技を統合して最強の格闘者を決めるショーを行うというのが設立のコンセプトである。

一般に知られるK-1のイベントは、フジテレビが主催、フィールズ(2005年から)が冠スポンサーの「K-1 WORLD GP」である。過去には、ツムラ、日清食品(2000年まで)、アルゼ(2004年まで)が冠スポンサーだった。

日本テレビは日本人選手を主軸とする「K-1 JAPAN GP」シリーズを1997年から2004年にかけて放送した。JAPANシリーズは打ち切りになったものの、ワンデートーナメントのJAPAN GP大会のみ2005年からフジテレビが中継する。

2002年にはミドル級部門を設立、「K-1 WORLD MAX」シリーズを立ち上げる。このシリーズはTBSが放送している(地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルやBS-iでも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送される)。

同年、プロレスにも進出し、全日本プロレスの全面協力を得てWRESTLE-1を立ち上げ。しかし興行面で失敗し、更に後述の石井の逮捕もあって廃止となる。その後2005年に形を変えて再び復活するものの、やはり失敗し廃止となる。

2002年12月に石井和義がK-1の全役職を辞任し、現在はFEGが主催、谷川貞治がイベントプロデューサーを、角田信朗が競技統括プロデューサーを、それぞれ務めている。

また、この年の12月31日には「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!」を開催、曙太郎とボブ・サップの対戦で世間の注目を集めた。この試合はTBSが中継し、曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻のNHK紅白歌合戦35.5%を上回る43%だった。

2004年にはPRIDEに対抗して総合格闘技にも進出、5月22日に「K-1 Championship ROMANEX」(放送TBS)を立ち上げた。

近年は試合の判定結果などにおいて、大会運営者の中立性・公平性へ疑問が呈されることが多い。例として2006年5月13日オランダ・アムステルダムでの、フランス人ジェロム・レ・バンナ vs. オランダ人レミー・ボンヤスキー戦は、オランダ人ジャッジ三人の判定2-0でレミーが勝利したが、ジェロム陣営から判定結果に強い抗議を受けた結果、日本にてビデオでの再ジャッジが行われ、結果ジェロムの勝利へと判定が覆っている。この試合は選手の人気や国籍が試合結果に影響しているのではないかというファンの疑念を深めてしまった。

海外での興行は開催国でのK-1の人気拡大を目的としており、開催国での印象を良質な物にする為現地人の審判団を多く起用している。その為ホームタウンディシジョンが誘発されるのだとする意見も存在するが、GP決勝戦が行われる日本の場合でもその意見は成立する為、多くの国での開催は公平な物だとも言える。

マイク・ベルナルド(WBF)やヴァージル・カラコダ(IBC)のように、超マイナー団体で王座を獲得した者が「ボクシング世界王者」と呼ばれ宣伝されることに対し、違和感を覚えるボクシングファンは少なくない。また主要4団体(WBA,WBC,IBF,WBO)王者でもフランソワ・ボタ(IBF=禁止薬物使用のため王座剥奪)のような二流ではなく、史上最強と謳われたレノックス・ルイスのような一流の参戦を望む声が強まっているが、億単位のファイトマネーがネックになり実現は相当難しいと言える。

2000年からK-1 WORLD GPシリーズが始まり、世界各国で予選、日本でも予選はトーナメント制からスタートした。しかしこの体制が始まってからK-1の人気選手であるピーター・アーツやレイ・セフォー等がケガやコンディション不良のためなかなか勝ちあがることが出来ず、これを見かねた石井がもう一度体制を見直し、2002年から前年ベスト8に残った選手は、開幕戦で地区予選優勝者と戦わせるという開幕戦ワンマッチ方式を編み出した。結果的に日本で行われるWORLD GP予選のトーナメント制は約2年で廃止されることとなった。

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